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ニッポン ブルノー・タウト著 読後感

1933年(昭和8年)ブルノ―・タウトはナチスドイツから逃れるため日本へやって来た。群馬県高崎郊外の少林山達磨寺にある洗心亭に1936年まで3年間滞在し数々の名著を残した。その後トルコ政府から招かれ日本を去って行った。短い滞在期間ではあったけれど、類稀なる観察力と分析力により日本文化の神髄を炙り出したと言ってよいと思う。この時代は日本が第二次世界大戦に突入する前の激動の時代であった。

1933年(昭和8年)日本国際連盟からの脱退。同年ヒトラーがドイツ首相に就任した。

1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年)第二次世界大戦

1940年(昭和15年)日独伊三国同盟樹立

と歴史は動いて行った。

タウトは桂離宮の持つ単純・静閑・純粋な簡素性を機能主義的と評価し、日本古来の神道と皇室の歴史を伝えるものとしてこれを絶賛した。それに対し日光東照宮の絢爛たる装飾性を中国的でヨーロッパで言えばバロック的(ゆがんだ真珠)で日本的ではないと酷評した。これはあまりにも有名な話で、学生の時にもそのように学んだ。しかし今思い返してみると、神道と仏教が生活の中に何の違和感もなく併存している私たちの文化はおおらかで、こだわらず、何でも受け入れるところにその本質があるような気がする。そう言う意味でどちらも日本的であるということができると思う。

桂離宮と日光東照宮はほとんど同じ時期にできた。

桂離宮は1615年小堀遠州によって「古書院」が完成されそれから半世紀近くにわたり3期に分けて現存する桂離宮の書院群と庭園が整備された。2代将軍徳川秀忠の花押のある知行安堵状が伝わってある。

日光東照宮は1636年3代将軍家光によって造営された。造営工事の総奉行は秋元泰朝で東照宮奥之院に奉納された一対の狛犬は松平正綱と秋元泰朝が奉納したもので造営工事の時に詰め所となっていた所に泰朝を祀った「照尊院」が開基され墓石が建てられた。

どちらにも徳川家の私財が使われているようだ。

又、タウトは日本が地震国であることを理解していた。関東大震災に見舞われたのはタウトが日本に来る10年前の1923年であった。東北地方を旅した時、東北地方の都市計画について言及している。「地震による津波に対する対策として内陸部に都市を作る計画を見たことがない。」と書かれてある。甚大な被害をもたらした東北地方太平洋沖地震に見舞われたのは記憶に新しい2011年3月11日のことであった。

本には当時、銀座を歩く男女の80%が着物を着ていると書かれてある。隔世の感があるが、未だにその内容に精彩を欠くことがない。