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陰翳礼賛(いんえいらいさん) 谷崎潤一郎

学生の時に読んだ本が本棚の片隅に押しやられていた。やっと引っ張り出して再読してみた。何故かというと、実は民泊に泊まったお客さんの中にフランス人のデザイナーがいて、この本を読んだことがあるかと質問を受けたことがあったからだ。日本を訪れる外国人の中には、日本文化が好きでかなり研究して来る人がいる。陰翳礼賛は英語やフランス語にも訳されているようだ。うかうかできないと思った。そしてちょうどこの機会におさらいをしてみようと思った。
この本は昭和8年(1933年)ごろに書かれている。ブルノ・タウトが来日したのもちょうどこの年だった。時代背景をちょっと探ってみると。
1885年 日本初の白熱灯の点灯
1886年 現在の東京電力が創業
1914年(大正3年)第一次世界大戦勃発、東京駅開業
1927年(昭和2年)電灯普及率が87%
1941年(昭和16年)太平洋戦争勃発
この時代はやっと家庭に電気が引かれて細々ながらも電灯が点いた頃だったようだ。私が生まれたのはそれから20年も後の1955年(昭和30年)になるが、生まれた家は茅葺屋根の土間のある小さな農家住宅であった。和室の部屋に傘の着いた裸電球が光っていたのを覚えている。トイレは外に出た納屋にあり、柱に取り付けたスイッチを付けてトイレに行くことが昼間でも怖かったことを覚えている。家の中にも納戸という部屋が暗がりの中にあり、怖くて近づけなかった。家の中にはあちらこちらに陰翳があった。
少し話がそれてしまった。

谷崎潤一郎は陰翳が日本文化を創り出したととらえた。
本の中である料理屋さんに行った時に、部屋の明かりを電灯から燭台の灯りに変えてもらうくだりがある。これなどは今やったら必ずうけるだろうなと思う。日本料理は白ッ茶けた器で食べては慥かに食欲が半減する。と書かれてある通りだと思う。

設計を考える時太陽の位置と屋根や庇が建物にどのような影を落とすかを考えることは、立体を作る上でのまず基本となることだ。建物に立体感を与えると同時に取り入れる光の調整となる。

光源の使い方に三高三低という考え方がある。これは高照度、高温度、高輝度の光は高いところで使い、その逆は低くして使うということだ。これは一日の太陽の動きとともに変わる光の性質と同じように使うことで、自然な配光となる。これを逆に使うと非日常的な光の演出となる。配光を考える時はこの法則に従って考えている。

ただ何でもかんでも、明るくするのではなく、何処を暗くするかと言う発想はとても面白い。

90年前に書かれた本であるが、今なお輝き続ける内容だと感じた。ちょうど今昭和30年代に建てられた小さな和風住宅を民泊に改装する計画を進めている。この本で学んだことを取り入れようと考えている。